一場主義 (Mono-field-ism)#
「行き過ぎたEB対応論者」は、E、B だけを正規の電場、磁場だとして、D、H を軽視し、 補助場 (auxiliary fields) というレッテルを張って、電磁気学の枠組みの外へ追い出そうとしている。 E と B をそれぞれ、唯一の正統な電場と磁場に位置づけるためだけに、さまざまな理由づけ(教義)を編み出している。
彼らは電場、磁場はそれぞれ一つでなければならないという固定観念に縛られているのだが、 一神教 (mono-the-ism) になぞらえて一場主義 (mono-field-ism) とでもよべる、 この観念に一度憑りつかれると、離脱は殆ど不可能である。
その正統性を擁護するための、多くの精巧な教義が準備されている。 中世の、針の上で何人の天使が踊れるかの類である。 一見もっともらしく見えるこれらの教義は結論に合わせて作り出されたものであり、少しの理性をもって考えれば誤りが明らかになる。
しかし、教義の矛盾を確かな根拠に基づいて論理的に示しても、別の教義を示されたりして、堂々巡りに陥り、徒労に終わることが多い。 彼らが最初に学んだのが「一場主義」の電磁気学なのだから、そこに安住して、他の考えを受け入れる余地などないのである。
最初にEH対応で学んだ後、EB対応に転向したケースも多いと思われるが、「一場主義」だけは変わらない。 そのような場合、特に H に対する嫌悪が苛烈になる傾向がある。 一方的に思いを寄せていたものに裏切られたという思いからであろう。
無理に呪縛を解こうと試みても憎まれ嫌われるのが落ちである。 残念だが、そのままにしておく他はない。 せいぜいできることは、間違って初心者が一場主義に陥らないように注意喚起することである。
もしあなたが下のような文章を見かけたら、その本をそっと閉じて、 本棚の目立たないところに片づけることをお勧めする。
ローレンツ力が E、B で表されるのだから、当然 E、B が基本である
D と H は電磁場的な量と物質的な量の組み合わせに過ぎず、便宜的なものである。補助場と呼ぶのが相応しい。
H は磁荷や磁極に付随する量なので、できるだけ使わないのがよい。 教えることも控えた方がよい。
B を磁束密度と呼ぶのは物理的におかしい。
真空の誘電率、真空の透磁率はSI単位系における辻褄合わせの定数であり、物理的なものではない。
μ_0 = 4π x 10^{-7} と単位をさりげなく省略する。
誘電体でも磁性体でもない真空に、ゼロでない誘電率や透磁率を持たせるSI単位系は変である。(Gauss単位系でもゼロではないのだけれど?)
真空中で2種類の電場、磁場を考えるなんてどうかしている。
電磁気学は本来 Gauss単位系で記述されるべきであるが、慣習的にSIが使われているので、仕方なくそれにしたがう。
マクスウェル方程式に c が表れるので、Gauss単位系が優れている。
本来、E と B は同じ単位で測られるべきである。別の単位で測るのは、東西の距離と南北の距離を別の単位で測るようなものである。
相対論で使われるテンソルは E、cB で表されるので、E、B が基本である。
ポテンシャル φ、A の微分である E、B が基本である。
[感想] 宗教や政治、あるいは人間関係とのアナロジーがよく成り立つのは、科学といえども人間の営みだからであろうか。